「二宮金次郎って、薪を背負って本を読んでいる人だよね?
でも……実際には何をした人なの?(´・ω・`)」
「二宮尊徳って名前も聞くけど、別の人なのかな?」
学校にあった銅像を思い出しながら、
「そういえば、ちゃんとは知らないかも……!」
と思った方も多いのではないでしょうか(*´꒳\`*)
二宮金次郎は、江戸時代後期に、苦しい状況にあった農村や家計を立て直すために力を尽くした人物です。
薪を背負って勉強する少年のイメージがものすご〜く有名なんですが、
実は、本当にすごいのは大人になってからなんですっ( *˙ω˙*)و
人々の暮らしがその場しのぎではなく、これから先も続いていくための仕組みを考え、それを実際に形にしていきました。
この記事では、
「二宮金次郎って結局、何した人?」
というところから、代表的な功績や二宮尊徳との違い、銅像に込められた意味まで、やさしくご紹介していきます〜♪
二宮金次郎は何した人?簡単にいうと農村を立て直した人

二宮金次郎は、ひとことでいうと、
荒れてしまった農村や苦しい家計を立て直し、人々が暮らしを続けられるよう支えた人です。
「薪を背負って勉強していた人!」
だけで覚えていた方は、
「えっ、そんなことまでしてたの!?Σ(゚Д゚)」
ってなりますよね。笑
二宮金次郎は、自分の家が苦しくなった経験をもとに、田畑を少しずつ買い戻して生家を再興しました。
その後は、小田原藩の家老・服部家の家計や、栃木県の桜町領などの復興にも取り組んでいきます。
二宮金次郎は江戸時代後期の農村復興を支えた人物
二宮金次郎は、現在の神奈川県小田原市に生まれました。
江戸時代後期は、天候不順や災害、借金などによって、暮らしが苦しくなった村も少なくなかった時代です。
農業がうまくいかなければ、そのまま生活にも大きな影響が出てしまいます。
そんななか、二宮金次郎が考えたのは、
「とりあえずお金を渡して助けよう!」
という一時的な方法ではありませんでした。
田畑を整えたり、収入と支出のバランスを考えたりしながら、
村の人たちが、この先もちゃんと暮らしていける状態をつくること
を大切にしたんです◎
ここが、すごく大事なところなんよぉ〜(*´ω\`*)
薪を背負って勉強した少年として有名だけど、本当の功績は大人になってから
二宮金次郎と聞くと、
薪を背負いながら本を読んでいる少年の銅像を思い浮かべる方も多いですよね。
「うんうん、学校にあった〜!」
という方もいるのでは?( \*´艸`)
もちろん、苦しい環境でも学ぼうとした姿は、二宮金次郎を知るうえで大切なエピソードです。
ただし!
彼が広く評価されている理由は、
「勉強をがんばったから」だけではありません。
大人になってから、家計の立て直しや農村復興で実績を重ね、各地の人々の暮らしを支えたこと。
こちらが二宮金次郎の大きな功績なんです◎
二宮金次郎のプロフィールを簡単にチェック
まずはプロフィールをサクッと見ておきましょう〜♪
| 項目内容 | |
| よく知られる名前 | 二宮金次郎(にのみや きんじろう) |
| 一般的な呼び名 | 二宮尊徳(にのみや そんとく) |
| 生まれた年 | 1787年 |
| 出身地 | 現在の神奈川県小田原市栢山(かやま) |
| 活躍した時代 | 江戸時代後期 |
| 主な功績 | 生家の再興、服部家の家政再建、桜町領の復興、報徳仕法の実践 |
| 亡くなった年 | 1856年 |
こうして見ると、
「少年時代の勉強家」というイメージだけでは収まらない人物だったことがわかりますよね(´ω`\*)
二宮金次郎と二宮尊徳は同じ人物
ここ、ちょっとややこしいんですが……
二宮金次郎と二宮尊徳は、同じ人物です!
別人じゃないんですよぉ〜◎
「金次郎」は幼いころからの名前として知られ、「尊徳」は大人になって農村復興で活躍した人物を指すときによく使われます。
本記事では、親しみのある「二宮金次郎」と、歴史上の人物名としてよく見かける「二宮尊徳」を、どちらも同じ人物として扱っていきますね♪
二宮金次郎が活躍した時代とは?なぜ農村の立て直しが必要だったの?

二宮金次郎がどれくらいすごいことをしたのか。
それを知るには、当時の村がどんな状況だったのかを少し知っておくと、ぐっとわかりやすくなります◎
江戸時代後期は天候不順や災害で暮らしが苦しい村も多かった
農業が暮らしの中心だった時代は、天候や水害の影響をものすごく大きく受けました。
作物が十分に育たなければ、収入が減ります。
当然、食べ物にも困ってしまいますよね……(´;ω;\`)
二宮金次郎の故郷周辺でも、酒匂川の氾濫によって田畑が荒れ、暮らしが苦しくなりました。
二宮家もその影響を受けています。
さらに金次郎は若いうちに両親を亡くし、家族が離れて暮らすほどの苦しい状況を経験しました。
かなり大変な少年時代だったんですね……。
荒れた田畑や借金は、村全体の大きな問題だった
村が苦しくなる原因は、田畑が荒れてしまうことだけではありません。
働く人が減ったり、借金が増えたりすると、村全体の力そのものが弱ってしまいます。
だから、
「みんなでもっと働こう〜!」
と呼びかけるだけでは足りないんです。
どれくらいの収入が見込めるのか。
何にお金を使うのか。
誰が、どうやって力を出し合うのか。
こういったことを、現実に合わせて考えていく必要がありました。
二宮金次郎は「お金」だけでなく「人の暮らし」を立て直そうとした
二宮金次郎は、困っている人に一時的にお金を渡して、
「はい、これで大丈夫!」
と終わらせたわけではありません。
その人たちの暮らしそのものが続いていく方法を考えました。
田畑を整えること。
収入に見合った生活をすること。
余った力を将来へ回すこと。
こうした考え方を組み合わせながら、村の再建に取り組んでいったんです(*´꒳\`*)
二宮金次郎は何がすごい?代表的な功績をわかりやすく解説

ではここから、
「結局、二宮金次郎は何がそんなにすごいの?」
というところを、代表的な功績ごとに見ていきましょう〜!( *˙ω˙*)و
①没落した生家を自分の力で再興した
二宮金次郎は、少年時代に家が苦しくなり、両親とも死別しました。
そんな大変な状況のなかでも働きながら少しずつお金をため、田畑を買い戻していきます。
捨てられていた稲の苗を育てたり、空いた土地を活用したりして、
ほんのわずかな収入も大切に積み重ねていったと伝えられています。
そして努力を続け、青年期には二宮家を再興しました。
いきなり大成功を目指したのではなく、
今できる小さなことを、コツコツ続けた。
ここに、二宮金次郎らしさがあるんですねぇ(*´ω\`*)
②小田原藩家老・服部家の財政を立て直した
自分の家を立て直した経験を生かして、二宮金次郎は小田原藩の家老・服部家の家政再建にも取り組みました。
家計が苦しいときって、
「とにかく節約しなきゃ!」
だけでは、なかなかうまくいかないこともありますよね。
支出を見直すだけでなく、無理のない返済計画を立てて、収入と支出のバランスを整えることも大切です。
二宮金次郎は、こうした現実的な方法で服部家の立て直しに力を尽くしたとされています。
③助け合いの仕組み「五常講」を始めた
二宮金次郎は、生活に困っている藩士を支えるため、
「五常講(ごじょうこう)」
という仕組みも始めました。
五常講は、利子を付けない貸し付けを行い、困った人が生活を立て直すための助けとなる仕組みです。
今の制度とまったく同じものではありません。
でも、
「困っている一人を助けて終わり」
ではなく、
みんなで支え合える仕組みをつくろう
と考えたところが特徴なんです◎
④荒れていた桜町領の復興を成功させた
二宮金次郎の大きな功績として知られているのが、
桜町領の復興です。
桜町領は、現在の栃木県真岡市周辺にあたります。
二宮金次郎は1823年、家族とともに桜町領へ移り住み、荒れた田畑や苦しい暮らしを立て直す仕事に取りかかりました。
とはいえ、
「はい、すぐ復興しました〜!」
なんて簡単な話ではありません。
さまざまな困難があり、成果が出るまでには時間がかかりました。
それでも、田畑を整え、村の収入に合った計画を立てながら、少しずつ復興を進めます。
そして1831年には、復興を成し遂げたとされています。
まさにコツコツ積み重ねた結果ですね……!(´ω`\*)
⑤報徳仕法で各地の農村復興に尽力した
桜町領で成果をあげた後も、二宮金次郎の活動は続きます。
「報徳仕法(ほうとくしほう)」と呼ばれる考え方と方法を使って、北関東を中心とする各地の復興に力を尽くしました。
報徳仕法とは、
まごころを大切にしながら働き、
収入に見合った暮らしをして、
余った力を未来や周りの人のために生かしていく方法です。
「なんかちょっと難しそう……(´・ω・`)」
と思うかもしれませんが、大丈夫です♪
このあと、もう少しやさしくご紹介しますね。
⑥農家出身でありながら幕臣に取り立てられた
二宮金次郎の功績は、小田原藩主にも認められました。
そして1842年には、
なんと江戸幕府に仕える幕臣に取り立てられています。
もちろん、
「農家出身なのに幕臣になったからすごい!」
というだけではありません。
自分の生家や家老の家計、農村復興などで積み重ねてきた実績。
それが高く評価された結果といえるでしょう◎
二宮金次郎はどうやって村を立て直したの?報徳仕法を簡単に解説

二宮金次郎は、
「気合いだぁぁ〜!!働けぇぇ〜!!」
みたいな根性論だけで村を立て直したわけではありません。笑
村の状況をよく確認して、無理のない計画をつくり、人々と力を合わせながら進めていきました。
まずは田畑・人口・収入など、村の状況を丁寧に調べた
村によって、田畑の広さや収穫量、働ける人の数、借金の状況は違います。
だから二宮金次郎は、
まず現状を知ること
を大切にしました。
今でいうなら、
家計を見直す前に、
「毎月いくら入ってきて、何にいくら使ってるの?」
を確認するような感じです◎
現実をきちんと知ったうえで計画を立てる。
だからこそ、無理なく続けやすい方法になるんですね(*´꒳\`*)
荒れた田畑を整え、農業を続けられる環境をつくった
農村では、田畑が荒れたままだと収入を得られません。
当たり前といえば当たり前なんですが……
ここが土台なんですよぉ〜!
二宮金次郎は田畑を整えて、再び作物を育てられるようにすることを大切にしました。
暮らしを立て直すためには、
まず「ちゃんと生活を続けられる土台」をつくる必要があったんですね◎
村の収入に合わせて無理のない計画を立てた
収入よりも多くのお金を使い続けていたら、どれだけがんばっても苦しくなってしまいます。
そこで二宮金次郎が大切にしたのが、
「分度(ぶんど)」
という考え方です。
これは、村や家の収入に合った生活の基準を決めるというもの。
ただし、
「とにかく我慢!節約!使うな!」
という意味ではないんです。
今ある収入や状況をちゃんと把握して、その範囲で無理なく暮らせるように整える。
そういう考え方なんですね♪
村の人と話し合いながら、復興を少しずつ進めた
村の復興は、一人ではできません。
働く人もいれば、田畑を持っている人もいます。
生活に困っている人もいます。
いろいろな立場の人たちがいるなかで、みんなの協力が必要になるんですね。
二宮金次郎は、村の人たちに考え方を伝えながら、復興を進めていきました。
すぐに結果を出すことだけではなく、
時間がかかっても、みんなが続けられる形をつくる。
ここが大切なポイントです◎
一時的に助けるだけでなく、村が続く仕組みをつくった
二宮金次郎が目指したのは、
「今年さえ乗り切ればOK〜!」
という状態ではありません。
収入に合った暮らしを続ける。
そして余ったものを、次の世代や周りの人のために生かしていく。
こうした仕組みがあれば、困ったときにも少しずつ立て直しやすくなります。
その場しのぎではなく、
この先も続けられる仕組みをつくる。
これが二宮金次郎の復興の大きな特徴なんです(*´ω\`*)
二宮金次郎が残した「報徳思想」とは?

二宮金次郎の考え方は、
「報徳思想」
と呼ばれています。
「ほ、報徳思想……!?難しそう……(;゚Д゚)」
ってなりますよね。笑
でも大丈夫♪
ざっくりいうと、
暮らしを整えながら、人とのつながりも大切にしていこう
という考え方だと思うと、かなりイメージしやすくなります。
報徳思想は「自分も周りも豊かにする」ための考え方
報徳思想では、自然や周りの人から受けている恩に感謝し、自分にできることを通して返していこうと考えます。
自分だけが豊かになればOK!
ではなく、
家族や地域、さらにこれから先の世代にも力をつないでいく。
そんな考え方を大切にしているんですね◎
至誠とは?まごころをもって取り組むこと
「至誠(しせい)」は、
まごころや誠実さを大切にすることです。
二宮金次郎の教えでは、働くことやお金を扱うことよりも前に、
相手や物事に誠実に向き合う姿勢そのものが土台になります。
まずは、ちゃんと向き合う。
シンプルだけど、とっても大事ですよね(*´꒳\`*)
勤労とは?工夫しながらしっかり働くこと
「勤労(きんろう)」と聞くと、
「とにかくいっぱい働くこと?」
と思うかもしれません。
でも、ただ長時間働けばいいという意味ではありません。
自分にできる仕事をよく考えて、
工夫しながら、
暮らしや社会の役に立つように働くこと。
二宮金次郎が空いた土地を活用したり、小さな収入を大切にしたりした姿にも、この考え方が表れています◎
分度とは?収入に合った暮らしをすること
「分度(ぶんど)」は、
今の自分に合った生活の基準を決めることです。
たとえば家計なら、
毎月の収入を見ながら、
「生活費はいくらくらい?」
「貯金にはどれくらい回せそう?」
と考えるイメージですね♪
無理をして苦しくなるのではなく、
自分が続けられる範囲を知る。
これが大切なんです◎
推譲とは?余ったものを未来や周りの人のために役立てること
「推譲(すいじょう)」は、分度を守ったうえで余ったものを、自分の将来や家族、周りの人のために生かすことです。
将来のために備えるのもそう。
困っている人を助けるのもそう。
自分だけですべて使い切るのではなく、
次へつないでいく
というところが特徴です(*´ω\`*)
「積小為大」とは?小さな努力を積み重ねること
二宮金次郎の教えとして、
「積小為大(せきしょういだい)」
という言葉もよく知られています。
これは、
小さなことを積み重ねれば、やがて大きな成果につながる
という意味です。
これ、現代でもめちゃくちゃわかりやすいですよね〜!( \*´艸`)
たとえば、
毎月少しずつ貯金する。
毎日10分だけ勉強する。
家の中を一か所ずつ片づける。
「そんな小さなことでいいの?」
と思うようなことでも、それを積み重ねることで大きな変化につながっていく。
そんな考え方なんです◎
二宮金次郎と二宮尊徳の違いは?名前が2つある理由

「二宮金次郎」と「二宮尊徳」。
名前が2つあると、
「えっ、兄弟?別人?どゆこと!?Σ(゚Д゚)」
ってなりますよね。笑
でも先ほどもお伝えしたとおり、
二宮金次郎と二宮尊徳は同じ人物です。
ここで、名前の違いをもう少し整理しておきましょう♪
二宮金次郎と二宮尊徳は別人ではない
二宮金次郎と二宮尊徳は、同じ人物を指す名前です。
学校の銅像などで親しまれた「二宮金次郎」という呼び名と、
歴史上の人物として紹介されることが多い「二宮尊徳」という呼び名があるため、
別人だと思われることがあるんですね。
「金次郎」は幼いころからの名前
金次郎は、二宮尊徳の幼いころからの名前として知られています。
少年時代の姿を表した銅像が全国の学校に広まったことで、
「二宮金次郎」
という名前が特に親しまれるようになりました。
「尊徳」という名前で農村復興の功績が広く知られるようになった
農村復興や報徳仕法について歴史資料を調べると、
「二宮尊徳」
と書かれていることが多いです。
なので難しく考えず、
「二宮金次郎は、のちに二宮尊徳として知られるようになった人物」
と覚えておけば大丈夫ですよ〜◎
なぜ「二宮金次郎」の名前のほうが有名なの?
これはやっぱり、
薪を背負って本を読む少年像が、長い間学校で親しまれてきたからです。
あの姿って、かなり印象に残りますよね。
そのため、大人になってからの功績よりも、
「薪+本=二宮金次郎!」
という少年時代の名前のほうを先に思い浮かべる方が多いのかもしれません(*´꒳\`*)
二宮金次郎の銅像はなぜ薪を背負って本を読んでいるの?

二宮金次郎の銅像といえば、
薪を背負って、本を読む姿。
「あのスタイル、なんでなの?」
って気になりますよね。
実は、ただ昔の服装や生活を再現しているだけではありません。
そこには、
働くことと学ぶことを大切にするメッセージ
が込められているんです◎
薪を背負う姿は「働くこと」の象徴
薪は、当時の暮らしに欠かせない燃料です。
その薪を集めて背負う姿は、家のために働く金次郎の姿を表しています。
「どんな状況でも、自分にできることを一生懸命する」
というイメージにつながり、
勤勉さの象徴として広まりました。
本を読む姿は「学び続けること」の象徴
本を読む姿には、
忙しい毎日の中でも学ぶことを大切にする意味が込められています。
「勉強って、学生だけがするものだよね」
ではなく、
大人になってからも学び続けることは大切。
そんなメッセージとして受け取ることもできますよね(*´ω\`*)
本当に歩きながら本を読んでいたの?
ここ、気になりますよね〜!
結論からいうと、
二宮金次郎がいつも歩きながら本を読んでいたとまでは言い切れません。
薪を背負って読書する姿は、努力や学びをわかりやすく伝えるための象徴として広まった面があります。
なので、
「歩きながら本を読むのがお手本ですよ!」
という意味ではないんです。
限られた時間も大切にして、学ぼうとした生き方を表した像として受け取るとよいでしょう◎
もちろん、今の道路で歩きスマホや歩き読書をするのは危険です……!(;´Д`)
本を読むときは、安全な場所で落ち着いて読むことを優先してくださいね♪
銅像は二宮金次郎の生き方を伝えるための象徴でもある
二宮金次郎の銅像が伝えているのは、
単純に、
「苦労してもがんばりましょう!」
ということだけではありません。
働くこと。
学ぶこと。
少しずつ積み重ねること。
そして、その力を自分だけでなく、周りの人のためにも役立てること。
そんな二宮金次郎の生き方への願いも、あの銅像には重ねられているんですね(´ω`\*)
二宮金次郎の銅像はなぜ学校に置かれていたの?

二宮金次郎の像は、かつて多くの小学校に置かれていました。
「うちの学校にもあったよ〜!」
という方もいるかもしれませんね♪
では、なぜ学校に置かれていたのでしょうか。
勤勉・努力・学ぶ姿のお手本とされたから
学校では、子どもたちに
学ぶこと。
働くこと。
努力すること。
その大切さを伝える存在として、二宮金次郎像が置かれました。
薪を背負いながら本を読む姿は、子どもにも意味が伝わりやすいですよね。
そのため、
「努力して学ぶ人」
のイメージとして親しまれていったんです◎
昭和初期を中心に全国の学校へ広まった
二宮金次郎像は、明治から昭和にかけて全国へ広まりました。
特に昭和初期には、多くの学校で見られる存在になったといわれます。
そのため世代によっては、
「校庭にあった!」
「登下校のたびに見てた〜!」
なんて思い出がある方もいるでしょう(*´꒳\`*)
最近は金次郎像が減っている理由
では最近、二宮金次郎像をあまり見かけなくなったのはなぜなのでしょうか。
学校の統合や建て替え、校庭の使い方の変化などによって、以前より銅像を見る機会は減っています。
とはいえ、
銅像が減った=二宮金次郎の教えが忘れられた
というわけではありません。
記念館や博物館、地域の行事などを通して、その功績や考え方は今も伝えられていますよ◎
座って本を読む新しい金次郎像もある
そして近年では、
薪を背負って立つ姿ではなく、
座って本を読む金次郎像
が設置される例もあります。
「えっ、座ってるの!?Σ(゚Д゚)」
と思うかもしれませんが、
学ぶ姿を大切にしながら、今の時代に合った形で表そうとするものです。
時代によって像の姿は変わっても、
学び続けることの大切さ
は変わらないんですね♪
二宮金次郎の生涯を年表で簡単にチェック

ここまでの流れを、年表でもサクッと確認しておきましょう〜◎
| 年・時期主な出来事 | |
| 1787年 | 現在の神奈川県小田原市栢山に生まれる |
| 少年時代 | 酒匂川の氾濫などで家が苦しくなり、両親とも死別する |
| 1806年 | 独立し、二宮家の再興に取りかかる |
| 1818年 | 小田原藩家老・服部家の家政再建を始める |
| 1823年 | 家族とともに桜町領へ移住し、復興に着手する |
| 1831年 | 桜町領の復興を成し遂げる |
| 1842年 | 幕臣に取り立てられる |
| 1853年 | 日光神領の復興を命じられる |
| 1856年 | 70歳で亡くなる |
こうして年表で見ると、
少年時代の苦労だけではなく、
大人になってから長い時間をかけて復興に取り組み続けた人物
だったことが、よくわかりますね(*´ω\`*)
二宮金次郎の教えは現代にも生かせる?
二宮金次郎が生きていた江戸時代と今では、暮らし方も仕事の仕方も大きく違います。
「じゃあ、今の私たちには関係ないのかな?」
というと……
そんなことはありません◎
報徳思想には、今の生活にも取り入れやすいヒントがあるんです(*´꒳\`*)
家計を整えるヒントになる「分度」
分度は、
収入に見合った生活の基準を決める考え方です。
たとえば、
固定費を見直したり、
毎月の予算をざっくり決めたり。
こうしたことも、分度の考え方に近いといえます。
大切なのは、
「みんながこれくらい使ってるから!」
とほかの人に合わせて無理をすることではありません。
自分の家庭に合った形を見つけること。
これがポイントです◎
毎日の小さな積み重ねを大切にする「積小為大」
何か新しいことを始めるときって、
「ちゃんと続けられるかなぁ……(´・ω・`)」
って不安になること、ありますよね。
そんなときは、最初から大きな目標を立てすぎなくても大丈夫。
毎日少しだけ片づける。
週に一度だけ家計簿を確認する。
寝る前に数ページだけ本を読む。
ほんの小さな行動でも、それを続けていくことで大きな変化につながっていきます。
まさに、
積小為大ですね♪
自分だけで抱え込まず、周りと支え合う「推譲」
推譲には、
余った力を将来や周りの人のために生かす
という意味があります。
たとえば、
時間や気持ちに少し余裕があるときに家族を手伝う。
地域の活動に参加する。
困っている人に声をかける。
そんな身近な行動も、支え合いにつながっていきます◎
ただし!
無理をして自分をすり減らす必要はありませんよ〜(´;ω;\`)
まずは自分の暮らしを整える。
そのうえで、できる範囲で周りにも目を向ける。
そんな考え方が、二宮金次郎の教えに通じる部分なんですね。
二宮金次郎についてよくある質問

最後に、二宮金次郎についてよくある疑問をまとめて確認していきましょう〜♪
二宮金次郎は何した人?
二宮金次郎は、江戸時代後期に、苦しい状況にあった農村や家計を立て直すために力を尽くした人物です。
服部家の家政再建や、桜町領の復興などで成果をあげました。
「薪を背負って勉強した少年」というだけではなく、
人々の暮らしを立て直した人
なんですね◎
二宮金次郎は何がすごい?
自分の家を立て直した経験を生かして、ほかの家や村の復興にも取り組んだところです。
ただ働くだけではなく、
収入に合った計画や、助け合いの仕組みまで考えたこと。
ここが、二宮金次郎のすごいところです(*´꒳\`*)
二宮金次郎と二宮尊徳は別人?
いいえ、別人ではありません!
二宮金次郎と二宮尊徳は、同じ人物です。
薪を背負って本を読む少年像が広まったことで、
「二宮金次郎」
という名前が特に親しまれるようになりました。
二宮金次郎は何時代の人?
二宮金次郎は、江戸時代後期の人物です。
1787年に生まれ、1856年に亡くなりました。
二宮金次郎はどこで生まれた?
現在の神奈川県小田原市栢山で生まれました。
小田原市には、生家や尊徳記念館など、二宮金次郎ゆかりの場所がありますよ◎
二宮金次郎はなぜ薪を背負っているの?
家のために薪を集めて働く姿を表しているためです。
本を読む姿と合わせて、
「働くこと」と「学ぶこと」
を大切にする象徴として知られています。
まとめ|二宮金次郎は農村と人々の暮らしを立て直した人

最後までお読みいただき、ありがとうございます。
二宮金次郎は、
薪を背負って本を読む少年として、とっても有名ですよね。
でも、本当にすごいのは……
大人になってから、農村や家計の立て直しに力を尽くしたことなんです◎
自分の生家を再興し、
服部家の財政再建や桜町領の復興を成功させ、
さらに各地で報徳仕法を実践していきました。
そして、
「至誠・勤労・分度・推譲」
という報徳思想には、今の私たちの暮らしにも通じるヒントがあります。
小さなことをコツコツ積み重ねる。
無理のない範囲で暮らしを整える。
そして余裕ができたら、その力を未来や周りの人にもつないでいく。
なんかさぁ……
江戸時代のお話なのに、意外と今にも通じるところがありますよね(*´꒳\`*)
これから二宮金次郎の銅像を見かけたときは、
「あっ、薪を背負って勉強してる人!」
だけではなく、
「たくさんの人の暮らしを立て直した人だったんだなぁ」
ということも、ぜひ思い出してみてくださいね♪
参考資料
- 小田原市:歴史資料・二宮尊徳関係資料
- 真岡市:二宮尊徳年表
- 真岡市:真岡の偉人「二宮尊徳」の説いた「報徳」とは?
- 報徳博物館:二宮尊徳と報徳
- 岡崎市:石の二宮金次郎像が全国の小学校に広まった背景
- 小田原市立豊川小学校:二宮金次郎像(坐像)

